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養老孟司先生の講話
2008-07-03 Thu 22:34
<養老孟司先生の講話>

 last update 16.December.2005

 2005年11月6日 養老孟司先生の講話 高井戸4小にて

***** 

 東大に40年、北里大に9年いました。
 地下鉄サリン事件の前年に東大を辞めることにしました。

 東大生の中にオームの信者がいて「養老先生、教祖が60分水の中に
いて生還するので証人になってください」と言われた。医学生が人間が
60分、水中にいられると本気で思っているのが少なからずショックだ
った。その数ヵ月後、サリン事件がおきた。そして東大を辞めた。

 医学生はメスの持ち方も知らない。メスを持って教室内をウロウロす
る。メスを持って急に振り返る。あぶなくてしようがない。おかしな社
会でおかしな大人になった人間を再教育することはできないと思った。


<脳の話>

 動物の脳みその上に人間の脳みそができているんです。まっさらな状
態から人間の脳みそが構築されているわけではない。人間はずっと遠い
動物(人間の祖先としての動物)の記憶をいまでももっている。



「違い」を検出するのが「感覚」

「感覚」はこれとこれは「違う」ということがわかること。
「概念」はこれとこれは「同じ」だ、と決めること。
 その「感覚」と「概念」が重なり合う部分に「ことば」がある。

yourou2.jpg


 動物は感覚がいいのではなく、概念がじゃましない。
 三日前のサンマをねこは食べない。しかし旦那は食べる。「同じサン
マだ」という概念でとらえるから。そして腹をこわす。(笑)

 ヒトは大人になるにつれ絶対音感がなくなる。しかしサルは絶対音感。
ヒトの「音痴」は同じ音で歌えるという能力。(笑) 教育すれば絶対音
感は消えない。

 たとえば夫婦でねこを飼っているとしよう。
 男性の声で「タマ、ごはんだよ」とねこの耳に聞こえる。
 女性の声で「タマ、ごはんだよ」とねこの耳に聞こえる。
 この二つはねこにはまったく別のコトに聞こえる。
 なぜならねこ(動物)は絶対音感だから。
 一方、人間はことばという「概念」を持っているから「タマ、ごはん
だよ」という意味を理解できる。(ここは人間が高等動物である、と言
いたいのではない)


<標準語の話>

 明治維新のときに標準語をつくった。
 正しい発音があるという前提をつくった。
 しかし「正しい発音」というものはない。
 「正しい発音」とは「差別」です。
 発音できなくてもことばを理解できる障害児もいる。
 ことばがわかるとは「耳」 発音は大事ではない。
 ですから「正しい発音をしなさい」と子供に言わないでください。

 インドネシアなまりの英語もシンガポールなまりの英語も聞き取るこ
とができるのが語学力。年を追うごとに東北弁も鹿児島のことばもわか
るようになった。


<個性>

 個性は一人一人にあるのではない。
 個性は見る人の目の中にある。
 ですので新入社員に対し「自分の個性を書きなさい」はナンセンス。
 昔は「個性」と言ったら「自意識過剰」と言われたものだ。
 みんな「個性」によって不自由になっている。
「個性に合わせた教育を」もナンセンス。


<ざっくばらんに>

 某放送局は「公平、客観、中立」と言う。
 しかし「公平、客観、中立」はありえない。

 ここ10年で自殺者は1万人増。(年間自殺者は3万人)
 弱者を追い込む社会になってきているのでは。

 おかしな大学生や大人を教育しても手に負えないし、もうすでに遅い
(笑)ので、最近は保育園の子供といっしょに虫とりをしている。(虫
とり指導)


 文学・詩を創造と言った。
 たとえば夕日の美しさを「詩」にする作業は概念づくりに近い。
 誰もが感じるだろう「夕日の美しさ」をことばにすることを創造と言
った。それがうまく表現されていると、それは上手な「詩」と言われた。



 みな「信用しろ」と言う。この商品はいいから買ってくれ、とかこの
株は上がるからとか。世はビジネス。そういう方は自分の命日を背中に
はって歩いてください。そうしたら信用できる。

 某新聞社の世論調査によると日本人の72%が無宗教と回答。
 欧州で無宗教と言えば、反キリスト教。
 イスラム圏で無宗教と言えば、反イスラム教。
 般若心経の中に「無」の字がたくさんある。
 日本人は仏教が骨のずいまで入っているから「無」宗教と言うのだろ
う。(笑)

 般若心経はおもしろい。無=0 空=1  0の発見はインド。
 インドは2000年前から0と1。だからコンピュータソフト(プロ
グラミング)が得意なのも当たり前。

 思想→行動様式→カタチ

 子供は田舎で育てる。ただしクルマの乗り入れを禁止にすべき。子供
とクルマは共存できない。子供は道に飛び出すもの。クルマはあぶなく
てしようがない。

 日本全国どこへ行っても同じ風景なのは残念。大型スーパーとドラッ
グストアとパチンコしかない。これは大人の脳が「概念」でつくりあげ
た「同じ」風景。子供にとってはつまらない環境。


<日本をよくするために>

 参勤交代のススメ
 まずは霞ヶ関の役人から
 年間一ヶ月は田舎暮らしすること。
 そうしたら、少しは「感覚」がよくなる。

「人と動物のかかわり研究室」を主宰しています。



 出席者:150人


<感想>

 テレビでゆっくり話す養老孟司先生とは違い、今日の講演は自然なス
ピード。よーく聞き耳を立てていないとあっという間に聞き逃してしま
いそうになる。発音も明快とは言えず、低くくぐもった声質で切れ目な
く流れるような話し方。

 しかし、講演の中にもあったように「発音」なんてものはどうでもい
いこと。肝心なのはこちら側(聴衆側)の聞く能力。一時間集中してひ
たすらメモをとることに専念した。

 冒頭の「感覚」と「概念」のあたりが一番おもしろかった。
 再録してみよう。



「感覚」はこれとこれは「違う」ということがわかること。
「概念」はこれとこれは「同じ」だ、と決めること。
 その「感覚」と「概念」が重なり合う部分に「ことば」がある。

 動物は感覚がいいのではなく、概念がじゃましない。



 犬の嗅覚に人間はかなわない。
 イルカ・鯨・象の聴覚に人間はかなわない。
 ということは人間だけが高等であるとはとても言えないということ。

 考えてみると、人間が「ことば」で構築した「概念」が、秒単位でボ
クの日常生活の中に顔を出し、手を出し、ボクの「感覚」を鈍らせてい
る状況はあまりにも多いことがよくわかる。

 「感覚の復活を!」ということだ。

 身近な動物(犬、ねこ、イルカなど)からもっともっと見習うことが
あるのだろう。

 音楽を聴くだけでなく楽器を演奏してみるとか。
 スポーツを観戦するだけでなく、実際にやってみるとか。
 外食を減らして料理をつくってみるとか。
 家庭菜園で野菜を育ててみるとか。
 にわとりを飼って玉子を頂くとか。
 服を買わずに、和棉から糸をつむいでつくってみるとか。
 家を買わずに、大工さんと在来工法で一緒に建ててみるとか。

 そういった行動・活動の中に、いままでないがしろにしていた「感覚
の復活」があるに違いない。
 感性をみがき、みずみずしい感受性を手に入れよう。

 ただ・・まさかヒトは「感覚」だけでは生きていけないだろう。
 「概念」や「定義」も大事なのだろう。

 「概念」と「感覚」の間を結ぶ役目を担っている「ことば」
 「ことば」はあまりにも不完全な代物ではある。
 しかし、だからこそ、どこまでも大切に、大胆にそして繊細に使いこ
なさねばならないと、肝に銘じたい。

 失敗してもいい。
 失敗は成功のもと。
 失敗は発明の母。

 失敗を恐れないで行動してみる。
 失言を恐れないで発言してみる。
 そうやって一歩、踏み出したときに、そのときにしか見えない何かが
あるのだろう。

 「殻」を破る、そのタイミングを見計らって一歩踏み出そう!
 ひよこはそうやって「殻」を破り、生まれてくる。

 2005. 12. 16  ふじかわ おさむ at 南荻窪



 下記もおもしろそうですね。

「わかる」ことは「かわる」こと
 佐治晴夫・養老孟司 (著) 河出書房新社
http://www.eliba.com/shop/exec/book/detail?bookId=109610000039654
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